その昔、東方にいた賢者は星を見て遥か彼方でキリストが生まれたことを知ったという。
キリストが実在したかどうかは別として、今でも多くの人の信仰の象徴であり、
彼が雲上の人であることには違いない。
15年ほど前になるが、舞台を観て言葉の如く「電撃が走った」ことがある役者がいた。
三階のてっぺんから芝居を観ていたのだが、正直芝居そのものが面白くなかったので
うつらうつらと眠っていた。
そこに彼は三階さんと呼ばれる脇役の人が作った馬に乗り登場したのだが、
閉じた眼を通してでも分かるぐらいの一種異様な光が彼の背後から放たれていた。
彼は役柄通り高貴な雰囲気を醸し出し、雲上の人として誰も寄せ付けない風格が
ありながらも、まだ二十歳にもならない思春期独特の危うさがそこにはあった。
「オーラ」という言葉を知ったのは、それから随分と経ってからだが、
まさにそのときオーラのある役者だと思った。
徒ならぬ雰囲気の持ち主なだけではなく、人を惹きつける華やかさは
天性のものだとも思った。
キリストもきっとそんな風に人を惹きつけて止まない人だったのだろう。
後に信仰の対象となり、神として崇め奉られる存在になる人というのは
持って生まれた不思議な魅力の持ち主でなければならない。
かと言って、魅力的なだけでも雲上の人にはならない。
雲上の人は常に人から敬われる存在でなければならない。
賢者の星の下に生まれる人はそうそういない。
が、誰しもが賢者にはなる可能性はあると思う。
彼の頭上に光ったのは賢者の星ではなく、
数え切れない光る星たちの一つにすぎなかったのかも知れない。
心を静かにすると聴こえてくるのは、平家物語の、
「祇園精舎の鐘の声〜
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし ......」
夢はまぼろし、儚き空蝉みたいなもんだよね。